FC2ブログ
巴里祭
2007 / 07 / 14 ( Sat )
今日は『パリ祭』です。
フランス人に『パリ祭』といっても通じないそうです。

1933年ルネ・クレール監督の映画「ル・カトルズ・ジュイエ/7月14日」が
日本で封切られることになったとき、「7月14日」という題名ではわかりにくい為、
輸入元の東宝東和映画が「巴里祭」と名づけました。


なんか・・
重めの記事が2つも続いているので・・
大笑い?できるの持ってきましたぁ~!!
【巴里祭】À Paris, dans chaque faubourg

何となく「日本人」にもみえるこのオジサマ!!
木の枝になんか腰掛けちゃって・・あっぁ~~!枝が折れそうだよぉ。。
曲の間奏に自己陶酔して花の香りなんか嗅いじゃって・・


も~~う、ステキな曲なのにぃ~~~~~~。
『巴里祭』のイメージが崩れちゃうよ~~ぅ!!
スポンサーサイト



12 : 29 : 17 | アコーディオン | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」
2007 / 07 / 14 ( Sat )
046428.jpg

昨日放映されたドラマ「お母さん ぼくが生まれてごめんなさい」
自分で紹介しておきながら・・
観るか、どうしようか・・ぎりぎりまで考えていたけど、結局観ました。
(こういう番組は、当事者側はけっこう複雑な思いがあるので・・ね。)
案の定・・最初っから泣きっぱなしでしたわぁ~~!
だって小学生の弟とか・・夜3人で川の字で寝てると事とか・・
foohtaさん一家と状況的に同じ場面が多く、感情的にダブってしまうのですわ。


ドラマとしては素晴らしく、肢体不自由児の日常生活を全く知らない方々に少しでも理解してもらう、という点では大きな意味があったと思いますが・・

やっぱり~~!!
暗すぎるぅ~!悲しすぎるぅ~!

foohtaさんは、あらためて・・
お笑い系しょうがい児の母で歩むことを誓ったのでありましたぁ~!

でぇ~~!
昨日のドラマの中で紹介されたやっちゃんの詩には・・実は、続きがあります。
あそこで・・終わっては、あまりに悲しすぎますねぇ

またまた、長くなってしまいますが・・
あの詩にお母さんがやっちゃんにお返しの詩を書いて・・
そして、その詩に、また、やっちゃんがお母さんに返す形で完結部(?)の詩を書いています。

昨日のドラマは・・
養護学校教員でやっちゃんの担任であった向野幾世さんの著書
「お母さん ぼくが生まれてごめんなさい」(扶桑社)が原作です。
この著書の中から・・この詩が出来上がるまでのエピソードも含めて、
この詩の全編をご紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ごめんなさいね おかあさん」という題に行きつくまでの段階は、こんなふうにして、ことばを選んでいったのです。
「ごめんね おかあさん」これはいつものことばでしたから、これを題にしようかというと“ノーノー、いやだ”と舌をだします。それじゃ、男らしく「ごめんよ かあさん」これはどう? と言うと、またノーのサイン。こんどは上下を逆にして、「かあさんごめんよ」とやってみます。どうもピッタリこないんだなあっていうやっちゃんの顔。
 私の頭に浮かぶかぎりのことばの組み合わせの中から、やっと、やっちゃんが、ウインクでイエスのサインを出したのは、「ごめんなさいね おかあさん」でした。
 舌を出すことと、目をつぶること、そして全身の緊張という障害を使って、話をすることで、ことばノートの整理が始まったのです。
 年も明け、四月二十六日という、フォークコンサート開催日はどんどん近づいていました。
 やっちゃんの詩の初めの部分ができたとき、お母さんの京子さんにも見てもらいました。


  ごめんなさいね おかあさん
  ごめんなさいね おかあさん
  ぼくが生まれて ごめんなさい
  ぼくを背負う かあさんの
  細いうなじに ぼくはいう
  ぼくさえ 生まれなかったら
  かあさんの しらがもなかったろうね
  大きくなった このぼくを
  背負って歩く 悲しさも
  「かたわな子だね」とふりかえる
  つめたい視線に 泣くことも
  ぼくさえ 生まれなかったら


 読み終えてもお母さんは無言でした。ただ目がしらをおさえて、立ちつくしていました。
「やっちゃんが、これを……」とかすかに言われたように思います。そのせりあげる思いが私にも伝わってきました。
「わたしの息子よ」と呼びかけた京子さんの詩が私の手元に届いたのは、すぐ次の日のことです。こんどは私が立ちつくしました。


  私の息子よ ゆるしてね
  わたしのむすこよ ゆるしてね
  このかあさんを ゆるしておくれ
  お前が 脳性マヒと知ったとき
  ああごめんなさいと 泣きました
  いっぱいいっぱい 泣きました
  いつまでたっても 歩けない
  お前を背負って歩くとき
  肩にくいこむ重さより
  「歩きたかろうね」と 母心
  “重くはない”と聞いている
  あなたの心が せつなくて
  わたしの息子よ ありがとう
  ありがとう 息子よ
  あなたのすがたを見守って
  お母さんは 生きていく
  悲しいまでの がんばりと
  人をいたわるほほえみの
  その笑顔で 生きている
  脳性マヒの わが息子
  そこに あなたがいるかぎり


 このお母さんの心を受けとめるようにしてやっちゃんは、後半の詩づくりにまた挑みました。


  ありがとう おかあさん
  ありがとう おかあさん
  おかあさんが いるかぎり
  ぼくは生きていくのです


  脳性マヒを 生きていく
  やさしさこそが 大切で
  悲しさこそが 美しい
  そんな 人の生き方を
  教えてくれた おかあさん
  おかあさん
  あなたがそこに いるかぎり


 この詩をのこしてやっちゃんが、二カ月もたたずして亡くなろうとは。いまにして思えば、このとき母と子にながれた温かい思いが迫ってきます。短い生涯のいのちのたけを託したことば選びに、やっちゃんが冬のさなかに全身に汗をためて、反応したことも、思いの半分もことばにかえられなくて、いらだって泣いてしまったことも、胸に迫って思い出されます。
 やっちゃんにとって、「ありがとう おかあさん」と「ごめんなさいね おかあさん」は背中あわせのことばでもありました
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(紀伊国屋書店サイトより)
11 : 16 : 30 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
| ホーム |